原田の生い立ち紹介ページ

どうも!はじめまして。原田です。

このページでは僕の幼少期からの生い立ちと今の活動を紹介していきます。

 

僕は小学5年生の時に「脳内出血」を患い約3カ月程の入院生活を経験したことがあります。

ですが、38歳になった今でも後遺症なく普通の社会人として生活をすることができています。

この大病を患いつつも乗り越えた話をぜひお読みください。

突然これまでの小学生らしい生活が一変

僕は小学5年生までごくごく普通の小学生らしい生活を送ってきました。

しかし、小学5年生の時に突然これまでの生活が奪われる’事故’に見舞われました。

当時のことは今でも鮮明に覚えています。

その’事故’とは水泳中に突然、左半身が動かなくなったのです。

左腕も左足もピクリとも動かない状態になり、右腕と右足だけでなんとかプールから這いあがり

僕はそのままプールサイドに倒れてしまいました。

その後、病院に運び込まれ検査の結果「脳内出血」を起こしていたことが判明しました。

幸い運ばれた病院に脳外科の先生がいて緊急手術を行うことができ、命を取り留めることができました。

 

とてもつらい入院生活の始まり

約2時間の手術が成功し、僕が意識を取り戻したのはその3日後でした。

その日からとてもつらい入院生活が始まったのです。

病気の後遺症で最初の2週間は自分でご飯を食べることや飲み物を飲むこと、

身体を起こすことすらもできませんでした。

自分の意思で自分の身体を動かすことができなかったのです。

当時小学5年生の僕にとってはとても歯がゆくつらい時期でした。

1日がまるで3日ぐらいに感じるほどでした。

入院して初めて自分の足で立ったのは1ヵ月後でした。

それからは回復が早く2ヵ月目にはリハビリセンターで動き回り、先生から「もう十分だから病室に戻って」と言われるぐらいでした(笑)

 

退院後の身体を動かせないつらい4年間

それから程なくして僕は退院することができ、久しぶりに家に帰ることになりました。

そして、帰宅してすぐに母親から衝撃的なことを2つ告げられました。

それは「走ったり、泳いだりするような激しい運動は少なくとも4年間はできない」と

「3ヵ月に一回の検査入院が必要」ということでした。

なぜなら僕の病気がまだ完治していなかったから

激しい運動をするとまた脳内出血を起こす可能性が高かった。

そして、術後の検査が必要だったからでした。

もう治ったから退院できたと思っていた僕はショックでした。

それからは体育会やスキー合宿などの学校行事は参加することができませんでした。

中学校に進学して友達はみんな運動部に入部していましたが、僕にはそれができなかった。

友達とも距離ができてしまい、一人でいる時間が多くなりました。

中学時代は楽しかった記憶が何もないぐらい、さみしくつらい時期でした。

病気と向き合った4年間

中学時代に病気とちゃんと向き合ったおかげで今、僕は後遺症も身体の不自由もなく普通の社会人として

生活が送れるようになりました。

このような経験から僕は現在、入院中の子供たちや退院後の不安を抱えている子供たちに対して

僕の入院中の経験や退院後の経験を元に不安に思うことや辛く感じることを共有し

一緒につらい時期を乗り越えられるようにサポート活動をしたいと思っています。

そして僕のように後遺症も身体の不自由もなく前向きに生活が送れるようになってほしい

そう願っています。

現在、僕の話を聞きたいという方をモニターさんを募集しています。

ご興味のある方は問合せフォームからご連絡ください。

 

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